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東京地方裁判所 昭和33年(行)100号 判決 1960年7月27日

原告 井上貢

被告 労働保険審査会

訴訟代理人 朝山崇 外一名

主文

原告の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一原告の申立及び主張

一  原告は、請求の趣旨として、次のような判決を求めた。

(一)  渋谷公共職業安定所長が昭和三二年六月六日付で原告に対してした処分に対する原告の再審査請求につき、被告が同三三年四月三〇日付でした請求棄却の裁決のうち、原処分の昭和三二年五月一六日以降一三四日分の失業保険金を原告に支給しない旨の部分を認容した部分を取り消す。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

二  原告は、請求の原因及び被告の主張に対する反論として次のとおり陳述した。

(一)  原告は、東京急行電鉄株式会社を停年退職して失業保険金の給付を受けていたものであるが、昭和三二年六月六日、渋谷公共職業安定所長(以下職安所長という。)は、原告を不正行為による失業保険金受給者として原告に対し同年四月一九日から五月一五日までの支給失業保険金合計金一五、九三〇円を返還すべきことを命じ、かつ同月一六日以降一三四日分の失業保険金はこれを支給しない旨の処分(以下原処分という。)をした。しかし、原告は右処分に不服であつたので、適式に東京都失業保険審査官に対して審査の請求をしたところ、同審査官は、昭和三二年八月九日付で請求棄却の決定をなし、原告はその頃その通知を受けたので、更に同年八月三〇日、被告に対して再審査の請求をしたところ、被告は、同三三年四月三〇日付で請求棄却の裁決(以下本件裁決という。)をなし、原告はその頃その通知を受けた。

(二)  しかしながら、原告は何ら不正行為によつて失業保除金の支給を受けたことはないのであるから、原処分は違法であり、これを認容した本件裁決も同じく違法であるから、そのうち昭和三二年五月一六日以降一三四日分の失業保険金を支給しない旨の部分の取消を求める。

(三)  原告が株式会社製耕社に一時就職したことは認めるが、就労日数は六日間のみである。渋谷公共職業安定所の係員から失業保険法第一七条の四第二項の趣旨の説明を受けたのは原告が求職の申込をすると同時に失業届を提出した昭和三二年二月二二日に一回あつたのみである。原告が同年五月二〇日に係員から就労の有無について質問を受けたことはあるが、原告は以前に勤めたことはあるが勤務先の名称は忘れた旨答えた。原告が勤務先の名称(株式会社製耕社)を失念したのは、折柄盲腸炎の手術直後であつたので気分がすぐれず物忘れも甚しく、早く自宅に帰つて休養したいとあせつていたことと製耕社という会社名は原告としてはなじみうすくおぼえにくかつたためであつて、故意に就労の事実をかくしたわけではない。したがつて原告が不正行為により失業保険金の支給を受けたとしてなされた原処分は事実の誤認にもとずくものであつて違法である。

(四)  仮りに原告に被告の主張するような不正行為があつたとしても、当時原告には次のような事情があつたので、職安所長は失業保険法第一条の趣旨に則り、同法第二三条第一項但書の規定を準用して少くとも昭和三二年五月一六日以降一三四日分の保険金を支給すべきであつた。すなわち、原告は家族六人(妻、一男四女)をかかえて、家族の収入は原告の受領する失業保険金の外長女の給料一ケ月約七、〇〇〇円、長男のアルバイトによる収入一ケ月約三、〇〇〇円のみであつたので、若し原告が失業保険を受けられなくなれば、家族は極度の貧困におちいる状況にあつたのみならず、原告は昭和三二年四月から六月まで盲腸炎をわずらつてその間一時手術のため入院加療し、更に同年一二月から同三三年二月に至るまで変形性背椎症により入院加療したため多額の出費をやむなくされ、あまつさえ同年一月には長女が交通事故で死亡するなど原告の家庭は悲惨な状況に置かれていたのであり、失業保険法第二三条第一項但書にいう「やむを得ない事由」があつたのである。したがつて、原処分のうち少くとも昭和三二年五月一六日以降一三四日分の失業保険金を支給しない旨の部分は右規定に違反して違法といわなければならない。

第二被告の申立及び主張

被告代理人は、主文と同旨の判決を求め、請求の原因に対する答弁及び被告の主張として、次のように陳述した。

(一)  請求原因事実は、原告が不正行為により失業保険金の支給を受けたことがないとの点を除いて認める。

(二)  原処分及び本件裁決は次のような理由によつて適法である。

(1)  原告は、昭和三二年二月二二日、渋谷公共職業安定所に求職の申込をして同月二八日以来七日目毎に失業の認定をを受け、同年三月一日から失業保険金の支給を受けていたが、同年四月一九日、株式会社製耕社にトレース工員として就職し、同日から同年五月八日までの間に延一二日間就労して同月三一日退職した。しかして右安定所の係官は、昭和三二年二月二八日の失業認定日以来前述の各失業認定日に数回にわたり原告に対して失業保険法第一七条の四第二項の趣旨を説明したのであるから、原告は就職した場合にはその期間の長短にかかわらず届け出なければならぬことを十分に知つていた。しかるに原告は、前記製耕社に就職後の各認定日に右届出をせず、特に昭和三二年五月三〇日の認定日には係員の質問に対して就労したことはない旨答えているのであり、同年六月六日の認定日にも同様の陳述をくり返しながら、係員から製耕社の採用証明書を呈示されて初めて就労の事実を認めたのである。以上のとおり、原告は故意に就労の事実を届け出ることなく失業保険金を不正に受領したことは明らかであるから、失業保険法第二三条にもとずいて職安所長がした原処分は適法でありこれを認容した本件裁決も亦適法である。

(2)  原告が右のような不正行為をするについて原告の主張するような事情があつたことは知らない。仮りにそのような事情があつたとしても、失業保険法第二三条第一項但書にいう「やむを得ない事由」には該当しない。

第三証拠関係<省略>

理由

一  原告が東京急行電鉄株式会社を停年退職してから失業保険金の給付を受けていたこと、昭和三二年六月六日、渋谷公共職業安定所長が原告を不正行為による失業保険金受給者として原告に対し同年四月一九日から同年五月一五日までの支給失業保険金合計金一五、九三〇円を返還すべきことを命じ、かつ同月一六日以降一三四日分の失業保険金はこれを支給しない旨の処分(原処分)をしたこと、原告が右処分を不服として東京都失業保険審査官に対し審査の請求をしたところ、同審査官は請求棄却の決定をしたこと、原告はさらに右決定を不服として被告に対し再審査の請求をしたところ、被告は、昭和三三年四月三〇日付で請求棄却の裁決(本件裁決)をしたことは当事者間に争がない。

二  証人河本晃、同新井正英の各証言を成立に争のない乙第五号証、第六号証の一ないし三、証人新井正英の証言により成立を認めうる乙第二号証を綜合すると、原告は、失業保険受給中に株式会社製耕社に雇用され、昭和三二年四月一九日から同年五月八日までの間に延一二日間に亘り右会社に就労し、右会社から同年四月分として金九五六円、同年五月分として金五、五七四円の賃金を受領したこと、原告は、右会社に就職した後の同年四月二五日、同年五月二日、同月九日、同月一六日の各失業認定日に失業の認定を受けるため渋谷公共職業安定所に出頭した際、右のように就職の事実があるにもかかわらず右安定所の係官に対し、失業の認定を受けようとする各期間内に就職、就労の事実がない旨の失業認定申告書を提出し、さらに口頭をもつて就職の事実がある旨を告知しなかつたこと、同月三〇日の失業認定日に同様失業の認定を受けるために出頭したとき係官から就職の事実の有無を尋ねられてこれを否認したことを認めることができ、右認定に反する原告本人尋問の結果は直ちに措信できないし、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

三  証人河本晃、同新井正英の各証言、原告本人尋問の結果(但し後記措信しない部分を除く。)と成立に争のない乙第四号証、第六号証の一ないし三を綜合すると、原告は、昭和三二年二月二八日の第一回目の失業認定日に渋谷公共職業安定所に出頭したとき、係官から失業期間中に就職又は就業の事実があれば次の失業認定日に届け出なければならない旨の説明を受け、その旨を記載した「失業保険受給資格者の心得」と題する説明書の交付を受けたること、又原告が前記各失業認定日に提出した失業認定申告書には失業認定期間中に就業、就労、内職等の事実があればこれを記載する欄が設けられていたことが認められるのであつて、したがつて原告としては失業認定期間中に就職、就労の事実があればたとえ内職程度のものであつても必ずこれを届け出なければならないことは十分知つていたものといわなければならない。右認定に反する原告本人尋問の結果は直ちに措信することができない。それにもかかわらず原告が前述のとおり株式会社製耕社に就業した事実がありながらこの事実をその後の失業認定日に届け出ず、しかも係官から就業の有無をとくに確かめられた際にもこれを告げなかつたのは、不正行為によつて失業保険金の支給を受け又は受けようとしたものといわなければならない。原告は当時健康状態不良のため物忘れが甚しく、製耕社の名称を失念したためである旨主張するが、原告本人尋問その他の証拠によつても原告がさほど物忘れが甚しかつたかは疑わしく、仮りにそれが事実であるとしても、原告としては就職先の名称はともかく少くとも就職の事実についてはこれを届け出ることができたはずであるから原告に不正行為があつたことを否定せしめるものではない。

四  原告本人尋問の結果によると、原告は、前述のように就職の事実を申告することなく失業保険金を不正に受給していた当時家族六人をかかえていたため原告の失業保険金と長女の収入等を合わせてもなお経済的に苦しい状態にあつたことがうかがわれるけれども、そのような状態にあつたというのみではまだ原告が右不正行為をするにつき失業保険法第二三条第一項但書にいうような「やむを得ない事由」があつたものとは認めがたい。(なお原告がやむを得ない事由として主張する原告の入院加療、長女の交通事故による死亡等は、原告の右不正な保険金受給行為後のことであつてこれを考慮に入れることはできない。)

五  以上のとおりであるから、職安所長が原告が不正の行為によつて失業保険金の支給を受け、又は受けようとしたものと認める失業保険法第二三条第一項、第二三条の二第一項にもとずき原告に対しすでに支給した失業保険金の返還を命ずるとともに昭和三二年五月一六日以降一三四日分の失業保険金を支給しない旨決定した原処分は適法であり、これを正当として認容した本件裁決もまた適法というべきである。したがつて、本件裁決を違法としてその請求の趣旨記載部分の取消を求める原告の本訴請求は理由がないのでこれを棄却すべく、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 浅沼武 菅野啓蔵 小中信幸)

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